平成25年度登録

西島(焼津市)
麦畑はコスモス畑に変身
麦畑はコスモス畑に変身

偉大な流れ大井川と報徳精神が育むコスモスの里

大井川の下流左岸に位置する西島地域では、平成11年から地域内外の人々に楽しんでもらうため、コスモスの植栽をはじめました。さらに、「ふじのくに美農里プロジェクト」を通して活動を広げ、地域住民と一緒にコスモスの栽培やビオトープでのメダカの飼育を行っています。
西島地域はコスモスの里として定着し、平成23年には周辺名所旧跡などの地域資源を巡るバスツアー「地域再発見の旅」のコースにもなっています。特にコスモス畑は参加者に大変好評で、口コミにより年々コスモスが咲く時期の訪問者が増加しています。


かつての面影、舟形屋敷
かつての面影、舟形屋敷

偉大な流れ「大井川」の水防の歴史

大井とは「偉大な流れ」という意味ですが、一旦洪水ともなれば下流の住民にとってはそれは恐ろしいものでした。現在の堤防は明治29年に完成しましたが、それまでは志太南部を奔流していたため、人々はその間の微高地に田を開き民家を点在させていました。西島や下流の飯淵地区は、大井川の流れが特に激しい地域であったため、大井川の氾濫に備えて、自分の家屋敷を洪水から守るための「舟型屋敷」が点在していました。現在では強大な堤防の建設、土地改良事業や道路網の整備により、舟型屋敷はほとんど見られなくなりました。西島報徳社が地区の農業の活性化を目的として創立されました。
明治中ごろに現在の大井川の堤防が建設されたことは、地域の発展に大きく貢献しました。


歴史ある俳句碑
歴史ある俳句碑

歴史ある句碑、現代の歌碑

俳人笑山、秋富、雪岡らがつくった同人組織「六鯨舎」。その笑山の辞世の笑山句碑が西島自治会館敷地の福寿院廃寺墓地にあります。この句碑は六鯨舎の同人が寛文十年(1798年)に建立し、俳句碑としては志太地区でも最も古いもののひとつです。
現代の物では県内の地名が散りばめられた歌詞が印象的な、氷川きよしのヒット曲「大井追っかけ音二郎」の歌碑が旧大井川町民の有志の募金によって大井川陸上競技場の構内に建立されました。