平成27年度登録

けっこい瀬平(川根本町)
「瀬平けっこにせっ会」支援事業の環境学習
「瀬平けっこにせっ会」支援事業の環境学習

文政11年から続く平谷の流し焚

187年前の“水川の鉄砲水”と言われた大井川の大洪水での災害を受けてからの行事で、頑なに毎年7月14日には必ず厄除けとして津島神社へ焚(だい)を奉納しています。この行事は、文政11年(1828年)から連綿と続いています。
区民の空き地に麦を作り、焚(だい)の材料とします。区民のコミュニケーションの場、3世代交流の場となっています。
現在では大井川流域の中で、当地区のみが伝統を継承しています。

また、境川ダムから上流の流域は、きれいな水の中にしか住まない生き物がたくさん生息していて、南部小学校の環境学習の貴重な教材となっています。


グリーンティーガーデン「けっこい瀬平」
グリーンティーガーデン「けっこい瀬平」

瀬沢・平谷は茶産業のさきがけの里

茶農家であり茶商であった瀬沢の村松嘉蔵は、明治22年横浜に「川根商店」を開設しました。
川根茶のアメリカ輸出も手掛け、明治26年、コロンブス世界博覧会入賞。明治24年、川根随一の道路(平谷〜原山間)を完成させ、平谷の港は川根茶の一大集積所となりました。
以降、川根茶の名声は瀬平区の茶業に引き継がれ、昭和56年には瀬平農協青壮年部として農林大臣賞を受賞しました。
現在、瀬沢製茶組合、平谷製茶組合は、競争意識を持って切磋琢磨し、良質茶の生産に励んでいます。


瀬平区が発行した郷土史「瀬沢と平谷の昔語」
瀬平区が発行した郷土史「瀬沢と平谷の昔語」

よみがえった民話・伝説

郷土史「瀬沢と平谷の昔語」は、昭和59年~平成3年の7年間を費やして編纂(へんさん)されました。
筆跡にあるように、当地区が煎茶生産販売の興隆期には、大井川流域で家山に次ぐ第二の都と謳われた時代を作り、その後の「川根茶」の隆盛をけん引している史実、神事への畏敬や伝統的な行事の由来などの語りは、今生きる当区民の胸に自信と誇りを持たせてくれています。

「瀬沢と平谷の昔語」の編纂(へんさん)中に再認識、および発掘された民話・伝説が相当数ありました。その中で代表的なものを以下に表します。

○西の渡の伝説・七人塚 … 江戸時代初期
○坊主岩の話 … 江戸時代末期
○西楽寺の狸 … 年代不詳
○天狗に奪われた魚 … 明治中期
○いぼとり地蔵 … 明治30年頃
○大井川沿岸道中づくし … 明治末期
○春埜山のお犬様借り … 昭和初期まで

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